25.消滅
ワタが、長剣を振りセンへ近づいてくる。
ケイは、とっさにセンとワタの間に入りこんだ。
ワタの攻撃よりも早く、ケイが剣を振り払った。
ワタの長剣が、それを弾く。
コウも何の躊躇もなくワタへと向かって行った。
速さに勝るケイたちの攻撃が、幾度となくワタの体を捕らえたが、強靭なワタの肉体は動きを止めなかった。
かわりに、強力なワタの一撃にケイとコウは汗まみれになっていた。
数十合の戦いに疲れ、息を整えていたコウへワタの一撃が飛んだ。
コウはとっさに槍で防御したが、容赦なく長剣が打ち付けてきた。
長剣の重い一撃に耐え切れず、吹っ飛ばされてしまった。
コウの体は、近くの井戸の岩に強く打ちつけられ、その頭からは大量の血が流れ出て頬を伝わり滴り落ちていた。
「コウ!」
ケイは、視界にコウを捕らえながらもワタと戦い続けていた。
―頭がクラクラや、もうちょっとだけ休んどこ。ケイちゃん、もうちょっと待って―
コウは、血だまりの地面に横たわったまま周りを見ていた。
―ヒミさんやココさん、えらい怪我してんな。大丈夫かな?早く治してあげないと・・・?―
―何で?・・・手下にやられたはずなのに・・・―
コウは、体をひねり右手で体を支えながらゆっくりと体を起こし始めた。
そして、おもむろに右手のひらを見た。
その親指には、ネズミだったチハに噛まれた傷が血豆としてまだ残っていた。
―・・・そうや・・・きっと・・・―
―僕の血や!ケイちゃんの傷口にも、ヒミさんやココさんの傷口にも、僕はこの右腕をあてた・・・僕の血に、何かがあるんや・・・抗体?・・・ウイルス?・・・『影』は、ウイルスなんか?・・・僕の血・・・―
おもむろに、地面にたまった真っ赤な自分の血をじっと眺めた。
意を決して、コウは槍先を血だまりに突きつけ立ち上がった。
ふらつく足を槍の柄で叩き、ワタへ向かって行った。
ケイも、ワタの長剣の威力の前に疲れの色を隠せなかった。
コウは、ワタの背後へ迫り槍を突き出した。
―やったッ!―
コウは、その手ごたえを体で感じていた。
しかし、コウが槍先へ目を向けるとそこには大きな腕が槍の柄をつかんでいた。
ワタがゆっくりと顔を向けてきた。
―くッ、しまった―
コウは、大きな腕にはばまれ槍を動かすことができなかった。
ワタが、体をコウに向き変え長剣を大きく振りかざしてきた。
ズギュッ―
コウの目の前に鋭い剣先が見えた。
それは、ワタの胸を突き破ったケイの剣だった。
「グオッ。」
ワタは、大きく呻きよろめきながら長剣をケイに向け振り払った。
だが、長剣は力をなくしたワタの腕から抜けケイの横を飛んでいった。
ワタは、その場に倒れ小さなうめき声をあげ続けていた。
「やったな。」
ケイが、しゃがみ込み汗をぬぐいながら言った。
「うん。」
その時、チハとチナの叫び声がした。
「お母様!」
「大丈夫?」
その声へ目を向けると、そこには右胸に長剣が刺さったセンがいた。
「セン!」
「センさん!」
ケイとコウは、センのもとへと走った。
そのコウの視界の端を何かが走った。
オレンジ色のその物体は、ケイたちを追い越しセンのほうへ進んで行った。
コウがとっさに槍でその物体を振り払ったが、物体は何事もなく空間を進んで行った。
センの右胸の傷口へ向け進んで行ったその物体は、吸い込まれるようにセンの体へ入っていった。
「センさん!」
力なくぐったりしていたセンが、ゆっくりと立ち上がり自身の右胸に刺さった剣を自ら抜き取った。
辺りは黄昏近く、心地よい風がセンの髪をなびかせていた。
「チハ、チナ、離れろ!」
ケイは、そう言うとチハとチナの手を取りその場から離れた。
『影』の乗り移ったセンは、ケイに向け剣を振り下ろした。
―ガキッ―
コウの槍が、その剣を受け止めていた。
コウは、センの剣を振り払うと迷うことなくセンの胸へ向け槍を突き付けた。
センは、かろうじて槍先を逃れコウへ剣先をあわせた。
何十合と二人は剣先を交えた。
ケイは、その光景を不思議に見ていた。
―なんでや、なんであんなに戦えるんや。センは、『影』やっちゅうても実体はセンやぞ。俺でも躊躇してるのに・・・―
空は、茜雲の向こうが薄い群青に変わってきていた。
その時、
センは、コウの槍先を力強く跳ね上げると突然走り出した。
ケイや他の者に目もくれず、森の暗がりを目指して走っていった。
「逃がすかー!」
コウが、大きく叫び追いかけていった。
ケイはその声に驚いた。
コウの怒りを込めた叫びを、初めて聞いたのだった。
その叫びに動かされ、ケイも走っていった。
―キーン―
センが、突然地面に転がった。
離れた場所には長い棒が地面を跳ねていた。
不意の出来事に驚いたセンが辺りを警戒している間に、コウはセンの足元に立っていた。
「もう逃げられへんぞ!」
ケイも追いつき、剣をセンの目先へ向けていた。
「ふ、ふ、我を殺すことができるのか。」
突然、『影』が言葉を発した。
恐ろしく低く野太い声が、空気を震わせた。
「なんだとー」
「この人間を切り刻みたいのなら切り刻め。ふ、ふ、それでも我は死なんぞ。どうする。」
「う・・」
「出来るさ。」
コウが、槍を構え言った。
「お前を消滅してやる。」
コウは、そう言うと躊躇なく槍先でセンの胸を貫いた。
「えッ、コウ!」
ケイが驚いて叫んだ。
「ギュエッ・・」
センの口から小さな喘ぎ声が漏れた。
コウは、センの肩を押さえゆっくりと槍を引き抜いていった。
剣先がセンの体から抜き出ると、ジワジワとオレンジ色の物体が滲み出てきた。
薄暗くなり始めた景色の中で、まばゆく光るオレンジ色が広がり始めた。
その物体は、センの頭上空間に集まりだんだんと異様な形を現していった。
「ふっ、ふっ、我は死なん。無駄なことよ。」
空間の中を『影』の無気味な声が響いた。
コウは、じっとセンの体から出続ける物体を睨んでいた。
全ての物体が抜き出ると、センは力なく地面に崩れ落ちた。
「我は、再び帰ってくる。楽しみにしておれ!」
オレンジ色の物体が空間に広がり始めた。
「・・・?」
―コウは、何を見てるんや?―ケイ。
ケイがコウの視線を追っていくと、そこはオレンジ色の物体の下先だった。
よく見ると、そこには何かが赤く滲んでいた。
その色は、生地を染め上げるように上へ上へと侵食していった。
「うッ?ぐほッ・・貴様、何をした―。」
赤色は、迷うことなくその勢力を拡大していった。
やがて、オレンジ色は物体の最上部を残すのみとなった。
「ぐふッ・・・きさまー、我に勝ったと思うなよ・・・これが・・終わりの始ま・・・ぐうォー・・・」
赤色は『影』の全てを覆いつくすと、一瞬小さな光を放ち無数の粒子となって空間に消えていった。
「やったか?」
ケイが、不思議そうに空間を見上げてつぶやいた。
「うん。」
コウは、力なくつぶやくとセンのもとにかがんだ。
コウは、その手をセンの胸に当て、手当てを始めた。
―大丈夫、大丈夫、守られてる、守られてる・・・―
チハとチナも駆け寄ってきて静かにその光景を見守っていた。
やがて、コウは立ち上がるとヒミとココのもとへ行き同じように手当てをし、その夜は、皆、シン家でセンの回復を見守った。
夜空には、大きな月が黄色い光をあたりに放っていた。
ケイは、一人道端の椅子に座り空を見上げていた。
―終わったのか・・・―
―変な体験やったなぁ・・・―
―コウは、大丈夫かなぁ・・あんなに血を見てもたからなぁ・・―
―そやな・・・もう、帰ろう・・今度こそ・・コウに悪いことしたなぁ・・・―
―キーン・コーン・カーン・・―
ケイが一人考え事をしていると、聞き覚えのある金属音がケイの耳に入ってきた。
「ばばぁ、か。」
「ひゃッ、ひゃッ、ひゃッ、物思いかえ。」
ババ様が、ゆっくりとケイに近づいてきた。
「おまえ、いったい何者や?」
ケイが、鋭く問い詰めるように言った。
26.時代を知るもの
「何者?ひゃッ、ひゃッ、ひゃッ、ワシはただのばばぁじゃよ。」
「・・・」
「よう、勝ったもんじゃのう。」
「お前も、俺らと同じ世界から来たのか。」
ケイは、ババ様を睨みながら言った。
「同じ世界?何のことじゃ。」
ケイは、視線を夜空に戻し話し始めた。
「お前も、俺らと同じ世界、いや同じ時代から来たんだろ。」
「・・・」
「お前の杖の音、いやに聞き覚えがあるんだよな。そう、小学校のチャイムと同じだ。そうなんだろ。」
「小学校のチャイム?似てる音などどこにでもあろうが。聞く者によっては、そう聞こえるかものう。」
「・・・」
ケイは、少し唇を緩めた。
「?何がおかしい。」
「・・・ふッ、ふッ、うれしいよ。違和感なく会話が続くのが。」
「?」
「小学校・・・この世界にも同じもんがあるんか?学校ならあるかもしれんけど・・・小学校なんてな・・・」
「!」
ババ様の表情が変わっていた。
「それに、そんな杖に効果音を入れるなんてこの世界の技術じゃないやろ・・・ばばぁは、ナウエの民じゃないんやろ。」
ババ様は、ケイの元へ近づき一つの椅子に腰を掛けた。
心地よい夜風が、ババ様の杖に付いている小さな飾りを優しくなびかせた。
「ひゃッ、ひゃッ、ひゃッ、『満る知』じゃなぁ・・・『影』を倒すことも出来たしのぅ。よぅ分かったのぅ。」
以外にも、ババ様は嬉しそうにこたえた。
「『ミツルチ』?・・・『影』を倒せたのは、コウのおかげや。『影』の正体はウイルスかなんかやろ・・・コウの血が倒したんやろ。ヒミやココは、コウが手当てしたから手下の爪でやられてもオレンジ色のヤツが出てけえへんかったんやろ。そして、コウの血が付いた槍が『影』を貫いた・・・そうなんやろ。」
ケイは、月明りの家々を見ながらつぶやいた。
「ひゃッ、ひゃッ、ひゃッ、よう分かったのぅ。その通りじゃよ・・・・ここは今1012年じゃ・・・ここの世界の年じゃがな・・・おぬしは、何年から来た。」
ババ様が、杖の飾りを手で揺らしながら聞いた。
「俺らは、2020年から来たんや。お前は。」
「2082年じゃ。」
「2082年?・・それじゃ、俺らよりだいぶ未来やんけ・・・そっから来たんか。」
ちょっと戸惑いながら、ケイが聞いた。
「わしは、おぬしらのように時間を飛び越えて来たんじゃないぞぇ・・・時を経てここにおるんじゃ。」
ババ様は、杖の飾りを優しく見つめながら話し出した。
ババ様の話と言うのは・・・・
―2082年、ババ様は8才だった。
その数十年前から、世界は二つの覇権国家により支配されていた。
一方のA国は自由と協調を旗印にし、他方のB国は独裁者利益追求国家だった。
A国では、その自由な空気のもと技術力と経済力とが発達し、軍事・資本の両面から世界を率いていた。
B国では、厳しい統制のもと軍事力を大幅に伸ばしA国をも凌駕する力を持つまでになった。
そんな中、日本で画期的な発明がなされた。
それは、半永久エネルギー『KAGE』と言われるものだった。
『KAGE』は、10㎝程の大きさながらエネルギーを生み出し続け、また逆に電気的エネルギーを無制限に吸収することができるものだった。
発明した科学者『K』は、『KAGE』を平和利用することを考えたが、不安定な世界情勢のもとこの発明を公表することをためらっていた。
しかし、A国・B国ともその諜報機関によりその情報を察知されることとなってしまった。
この発明を押さえることにより、世界のエネルギーを支配することができると考えられたからだ。
この発明の争奪を機に、両国は軍事的衝突を開始した。
20世紀の大戦後は核による抑止力と言うものがあったが、21世紀には核を超えるといわれる爆弾が開発されていた。
それは、放射能を出さず衝撃波だけで半径100キロ四方を壊滅させる威力のある超小型爆弾『ONB』だった。
核兵器は、放射能による地球規模の汚染を危惧するためにその使用には人道的抑制が効いていた。
しかし、限られた範囲にのみ被害を抑えられる新爆弾にはそのような抑制は必要がなかった。
そしてついにB国は、その兵器を使用した。
その頃、月には両国により研究施設―軍事施設であろう―が作られていた。
B国は、A国の施設にあろうことか『ONB』を数十発使用した。
それにより、B国優勢のもと地球規模の戦争が始まった。
科学者『K』は、『KAGE』を壊しそのデータとあるプログラムを安全と思われる場所へ移した。
月にあるB国の施設へ。
戦いはほぼB国が制圧しかけた時、ある事故が起きた。
北極圏にあった、ある実験施設が誤爆により破壊されてしまった。
そこでは、地球上に現れたあらゆるウイルスの調査研究をしていた。
事故により漏れ出たウイルスは、ウイルス同士の相互作用により変異し拡散していった。
その時、科学者『K』は孫であるババ様をある装置に入れ守った。
地球では、その後人類の大半がウイルスに倒れ、何故か幼小児だけがウイルスの脅威に耐え生き延びることができたが、その後、すべての文明がリセットされてしまった。
それから人類は少しづつ成長をしてきたが、100年ごとに天罰のように民が滅亡する危機が繰り返されるようになった―
ケイは、歴史の授業を聞くように話を聞いていた。
「そして、ワシはこの時代に目が覚めたのじゃ。」
ババ様はそう言うと、大きな月を悲しそうな瞳に映した。
ケイは、いぶかしそうな眼をしてババ様を見た。
「8才で・・何でそんなによう知ってんねん。」
ババ様は、優しい目で応えた。
「ワシは、寝たままずっとその時その時の出来事を記憶させられておったのじゃ。目覚めた時に、ワシが不安にならんようにかのぅ。」
ババ様の目は、優しくケイの瞳を眺めていた。
「そうか・・・よかったな。」
ケイの心は、何故かババ様を優しく受け入れ始めていた。
ババ様は、ケイから目をそらし杖の飾りを見つめていた。
「100年ごとに・・か。それは、もしかして・・・月にあるヤツが原因か。」
「それは、わからん・・・ただ、祖父が月にある人工知能に、あるプログラムを送ったことは確かじゃ・・・でも、祖父は、皆を苦しめるようなことは絶対せんよ。」
月を眺めるババ様の髪に、小さな蝶がとまっていた。
「また、100年後におんなじことが起こるんやな・・・」
「そうかも知れんのぅ。」
「最後に『影』の奴が言ってたやろ、「終わりの始まり」ってな。あれは、もっと強毒化するってことやろ。」
「わからんのぅ。じゃが、今までよりも大きな試練になるかもなぅ・・・相手は、人工知能じゃからのぅ。」
「人工知能・・か。今も動いてるってことは、自力で『KAGE』を作って動き続けてるんやろなぁ。」
月の光は、柔らかく家々や小道を映し出していた。
「ところで、おぬしの名はなんじゃ。」
ババ様が、ふと話をそらした。
「名前?・・知っとるやろ、ケイや。」
「いぃや、苗字じゃよ。」
「苗字・・・『クザ』やけど、それがどうした。」
「そうか・・いいや、この時代じゃ苗字なんてないからのぅ。聞いてみたかったんじゃ。」
「お前の名前は?」
「名前なんか忘れてしもたわ。目覚めてから口に出したこともないからのう。」
月明りのもと、ババ様はそっと目を閉じた。
「ババ様は・」
突然、路地のほうから落ち着いた女性の声が2人の耳に届いた。
「ババ様は、昔『ハルカ』と呼ばれたおりました。」
その声は、センのものだった。
センのそばには、チハやチナ、ヒミやココ、そしてコウも静かに立っていた。
「大ババが、古(いにしえ)の語り人と言っていたのは、そういうことだったんですね。」
「ひゃッ、ひゃッ、ひゃッ、そうじゃ『ハルカ』・・そんな名じゃったなぁ。」
「ハルカ・か。」
ケイは、妙に共感を感じていた。
「ババ様、『影』の元凶である月にあるものを壊す術はご存じですか。」
チハが、不安を浮かべた表情で聞いた。
「いいや、わからんよ・・・月に行くことも出来んしのぅ。」
「!・・・」
チハの後ろで、センが月を静かに眺めていた。
「少しはケイも休んだほうがよいだろう。皆、話はまた明日にしよう。」
そう言うと、センは皆を促し家へ向かった。
27.別れ
陽が上がり、新しい朝がナウエの里を包み込んでいた。
センの意見により、ケイとコウは元の世界へいったん戻ることとなった。
センとチハとチナ、ヒミとココ、ババ様とケイとコウ、一同は一時の別れの食事をし、夕方には出発するために村はずれの川のそばにあるバラの木の所へ来ていた。
「ココでええんか。ここに来た時の場所と違うぞ」
ケイが、いぶかしげに聞いた。
「心配はいらん。」
センが、はっきりと応えた。
「そうか。まぁ、前の世界に戻ったらこれがあるし大丈夫やろ。」
と言って、ケイはポケットからぐちゃぐちゃになった荷造り紐を出した。
「なんじゃな、それは。」
ふと、興味を持ったババ様がケイに近づきながら聞いた。
「ん、これか、これは道しるべになる紐や。」
「ちょっと見せてくれんかぇ。」
ケイは、ぐちゃぐちゃに丸まったままの紐をババ様の手にのせてやった。
ババ様は、紐を伸ばし空の光にかざしながらじっと紐を見つめていた。
「懐かしいのぅ・・・」
「そうか・・今の世界にはないからな・・・。」
ケイは、優しい目で呟いていた。
「いいもん、見せてもろうたわ。」
そう言うと、ババ様は杖についていた飾りを取り外した。
飾りのように見えたものは、細かな刺繍の入った小さな布袋だった。
そしてその布袋に荷造り紐を入れた。
「ここに入れておけば無くさんじゃろぅ、ほれ。」
そう言って、ケイの左手をとりその手のひらに布袋をのせた。
ケイがそっと布袋をつかむと、ババ様の手がケイの手を包むように覆った。
ケイは、戸惑っていた。
年老いているとはいえ、女性にこのように触れられるのが初めてだった。
「おッ、おう。・・・世話になったな・・・コウ、行くか。」
「うん。」
語彙力の少ないコウは、どんな言葉を口に出したらいいのかわからなかった。
ただ、なぜか悲しいものがこみ上げてきていた。
「何しんみりしてんのよ、コウ。お兄ちゃんになりなさいよ。」
チナが、ちょっと睨むような表情で声をかけた。
「そうですわ、私たちはいつまでも待っていますから。」
チハも、自分の寂しさを紛らわすように言った。
「う、うん。そうだね。」
「そうじゃ、二人には世話になったから、全ての民を代表してシン家から祝福をやろう。」
センが、急に声を発した。
「祝福?」ケイ。
「そうじゃ、二人が幸せでいられるようにな。シン家の秘宝じゃ。」
「秘宝?」
コウは、なぜかドキドキしながら聞いていた。
―秘宝・・・―
チハとチナは、その言葉を耳にするとその瞳に潤いが襲い掛かっていた。
センは、静かにケイとコウのそばに行き二人の肩に手を置いた。
センは、ふと何かを思い出したかのようにババ様のほうへ瞳を向けた。
「ババ様・・・よろしいですか。」
ババ様は、静かに瞼を閉じ頷いた。
すると、センは静かに口の中で何かを唱えだした。
しばらくし、センは二人の肩から手を下ろした。
「終わったぞ。」
「・・・?」コウ。
「終わったんか。なんも変わらんけど、なんかええ事が起きそうやな。」
ケイは、少し気を使って言った。
その光景を見ていたチハとチナは、夕日に照らされた頬を涙が伝っていた。
「さっきは僕にあんなこと言ったのに・・・チナちゃん、何泣いてんの。」コウ。
「・・う、うるさい・・・なに・なんでもない。」チナ。
「はは、辛気臭いのは嫌やな。コウ、行こか。」ケイ。
「うん・・・じゃあね、みんな。」コウ。
「うむ。」セン。
「・・・」ババ様。
「さようなら。」チハ。
「早く行っちまえ!」チナ。
「元気でな。」ココ。
「おぬしらに会えてよかったぞ。」ヒミ。
「お前らも元気でな。」
ケイはそう言うと、コウの肩を組みバラの木のほうへ歩き出した。
ケイとコウが数歩あゆみを進めると、突然景色が2人を上塗りしてしまった。
そこには、真っ赤な花をつけたバラの木だけが佇んでいた。
「お母様、これでよかったんですね。」
チハが、涙に手のひらを置いたまま聞いた。
「何がよ!何がよかったのよ。」
チナは、感情を解き放っていた。
センは二人を一瞥すると、少し離れて杖を握りしめて立っているババ様のほうへ瞳を移した。
「ババ様、本当によろしかったのでしょうか。」
「あ奴らは、まだ子供じゃて。嫌な出来事は忘れるに限るじゃろぅ。」
「いえ・・・ババ様は、本当によろしかったんですか。」
「・・・なにがじゃ。」
「ババ様・・・いいえ、クザ ハルカ様。」
「!・・・気づいておったのかぇ。」
「!クザ・・って、ケイの・・名前と同じ・・・」
チナが、夕日を取り込んだ大きな瞳を向けた。
センは、優しくチナとチハを見て頷いた。
「ババ様・・・ケイは、ババ様のお父様ですか。」
「・・・いいや、おじいさんじゃ。あの優しいおじいさんじゃ。口は悪いが、おじいさんの瞳はこの世界でもワシを優しく受け入れてくれた・・・嬉しかった・・・それでいいんじゃよ・・・おじいさんが、この世界の事を忘れてしまっても、ワシが一生覚えておる・・・それでいいんじゃ。チハ、チナよ。お前たちは、あの二人の事を忘れはせんじゃろ。それでいいんじゃ、お前たちの心の中であの二人はずっと生き続けるからのぅ・・・そして、子や孫に伝えていこうではないか・・我等は、種を残すために生きているのではない、誰かのために何かをなすために生きている、ということを・・・」
はるかな世界からたどり着いたであろう風が、優しく木々の小枝を揺らし時を動かしていた。
空では、バラの花からこぼれ出たのか深紅の模様が雲たちを包み込みはじめ、ケイとコウが溶け込んだ景色の中で、真っ赤なバラの花が枝をゆりかごに眠りにつこうとしていた。
1部 おしまい
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