秋雷

rain
Krzysztof PlutaによるPixabayからの画像

その初老の女性は、秋雷を遠くに聞きながら1枚の写真を眺めていた。

女性は若くして結婚したが、子供には恵まれなかった。
子供への思いを捨て去れずにいた女性は、夫と相談し45才で養子を迎えることにした。
3才の可愛い女の子が、新しい家族として女性のもとへ来た。女性は、心の底から幸せというものを感じ、女の子を愛した。

家に来た当初、女の子は女性に対し敵のような反抗を続けた。
それさえにも、女性は家庭というものの暖かさを感じていた。

小学校1年生の授業参観日の帰り道、女の子は「私のママは、おばあちゃんじゃない。」と言って走って帰っていった。
女性は、その姿をぼやけた視界から消えるまで見守り、やるせなさと恥ずかしさから遠回りをして家へ帰った。
夫は心配そうに尋ねたが理由は言わず、「ちょっと喧嘩しただけ。」とだけ答えた。

それからは、理由をつけ学校の行事には一切参加しなくなった。

思春期には、女の子からの会話は喧嘩腰になり「ババア。」と呼ばれることもあった。
本当の家族も思春期にはこんなものなのだろうと、女性は思い込むようなった。

そして、女の子は大学進学のため家を出ていった。

夫も、しばらくして他界した。
葬儀の日、女性は子供の泣き顔を見てこみ上げてくる嬉しさに包まれた。

大学の卒業式の日も、家事の忙殺に気を紛らわしていた。
いつしか、子供の成長は写真でのみ実感するようになっていた。

女の子は、半年前に結婚した。
人々が集まれない時勢、女の子は式を挙げなかった。

今日、新婚夫婦の写真が家に届いた。
女性は、一人穏やかに写真を見つめていた。

その手には、同封されていた一通の手紙が優しく握られていた。
子供からの初めての手紙が。

letter

「お母さんへ。

初めて手紙を書きます。

今まで、本当の子供になれなくてごめんなさい。

お母さんのことを、“おばあちゃん”って言ってごめんなさい。

お母さんを深く傷つけてしまったのをわかっていました。

その時から、お母さんに近づくのが怖くなってしまいました。

本当は、もっとお母さんを私の物にしたかったのに。                                   

今、私のおなかの中に赤ちゃんがいます。

女の子です。

私は本当の子供になれなかったけど、おなかの子は紛れもなくお母さんの本当の孫です。

生まれたら、無邪気にお母さんに抱きつくと思います。

その時はお願いですから、抱きしめてあげてください。

その日を心待ちにしています。

それじゃあ、お身体を大切にさようなら。

ps. 私も、もう25才になってしまいましたが、もう一度 お母さんの子供になりたい。」

daughter

女性の涙を掬い取るように、微かな秋雷が通り過ぎていった。

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